5.その骨は語る

 ユンカーの遺骨を検めた後、一度礼拝堂へと戻り、改めて村人ひとりひとりと挨拶を交わす。時間を置いて多少なり緊張感が解けてきたのか、皆それなりに好意的な態度を示してくれた。その後、村長の孫娘のエミに案内され、滞在するあいだ寝泊まりする小屋に向かう。
「ごめんなさい。いらっしゃるのはおひとりだと聞いていたから……一部屋しかご用意がなくて……」
 前を歩く娘は申し訳なさそうにそう言ってくるが、ロクスブルギーは小さく頭を振って返した。
「気にしないで。勝手に人数を増やしたのはこちらだからね。どうせカウフマンさんは夜見回りに出るのだから、交代で部屋を使えば問題無いだろう」
 同意を求めるように、ロクスブルギーがこちらを見た。吸血鬼である彼こそ昼間に休みたいだろうが、この村にいる間は人間として振る舞わなくてはならない。今はあくまで、人間の知己同士という設定なのだから、ここでその提案を突っぱねるのは不自然だろう。
「そうだな、俺もそれで構わない。余所者のために、わざわざ何部屋も用意してもらうのは大変だろうし」
「――だそうだ。だから、そんな顔をしなくていいよ、お嬢さん」
 ロクスブルギーが微笑みかけると、エミは少し頬を赤らめて、どぎまぎとした様子でそうですか、そういうことなら、と頭を下げた。長い前髪と、目深にかぶった帽子越しから伺い知れるだけでも、吸血鬼の美貌は十分に伝わっているらしい。ただでさえ、村の外の人間とはあまり関わりがないのであろう村娘は、ロクスブルギーと話している間――彼を名家の末裔だと紹介したのも手伝ってか――終始緊張しているようだった。
 そんな彼女が二人分の夕食を持ってきてくれるまでの間は、しばし気心の知れた間柄に戻ることができる。ベッドに腰掛けて息をつくと、ロクスブルギーが隣へやってきて、口を開いた。
「礼拝堂にいた者たちの中に、『人狼』はいなかったようだ。言うまでもないことだが」
「……そうか。それなら、村の外をうろついている夜鬼が繰り返し襲いに来ているか、あるいは――」
 村人の中に、殺人犯がいるか。可能性は、ふたつにひとつだ。当然だが、素朴な生活を送る村人たちの中に、一見して不審な人物などいるはずもない。吸血鬼は声を低くして、注意深く囁いた。
「ところで――ユンカー氏の遺骨、君は気が付いたか?」
 何をとは言わなかったが、ロクスブルギーの指しているものが、ユンカーの遺骨を検分した際のある違和感であることは明白だった。
「……故意に傷を付けられた部分があった、だろ?」
「そうだ」
 感心したように、吸血鬼は薄く微笑んだ。その様子に得意気な気持ちが湧いてくるのも束の間、すぐさまユンカーの遺骨についての所感を振り返る。

 ――全体的に見れば、ユンカーのばらばらに折られた遺骨は、身体を尋常ならざる力で引きちぎられた結果のように見えた。しかし遺骨の一部には、ノコギリのようなもので小さく傷をつけた形跡があった。まるで、予めそこから身体を切断するためにつけたかのように。乱暴に折られた骨の断面に、僅かに刻まれたその整った傷は、そこに理性が働いていたことを示している。この殺人は、本能や衝動で行ったことではない。何者かが計画的に、ユンカーを殺しその肉を削いだのだとも考えられる。そしてさらに――
「不審な点は、もうひとつある。左の大腿骨が半分程度不足していた。あれだけ他の骨は綺麗に纏まっていたのにだ」
「ほう。それは僕も気が付かなかった」
 一般人が、人骨を検分する機会はそうない。まして、朽ちることのない身体を持つ吸血鬼ならなおのことだろう。これは教会の審問官が、一部の特殊な――邪教を崇拝する人や悪魔に取りつかれたとされる――人々の遺体を燃やして弔う慣習があるため、たまたま人の骨について詳しかったから気付いただけのことだ。気付いただけで、そこに隠された謎も意図も、今のところ見当がつかない。
 村人が犯人である可能性は、排除できない。しかし、いたずらに疑いをかけ不信感を煽るのは悪手だろう。もし隣人が、朝挨拶を交わした相手が殺人犯だとしたら。狭く小さな共同体の中では、恐怖や不安の伝播はより早いだろう。疑心暗鬼から、私刑に走るものがでないとも限らない。無用な衝突を避けるためにも、なにかしらの証拠が手に入ってから尋問すべきだろう。
「……とりあえず、少し様子を見る。下手な混乱を招くのは避けたい」
「賢明な判断だ。だがあまり手をこまねいていれば、次の犠牲者が出るぞ」
「ああ、分かってる」
 殺人犯が何者であるにしても――人間の肉を求めて殺人が行われたことは、肉を削がれた骨を見ても間違いがない。継続的に行われている以上、そいつはまた人間の肉を必要とするはずだ。殺人犯が『人狼』でないのなら、何故人間の肉を必要としているのかは分からない。全く、難儀な話である。こちらは化け物を殺すのが仕事であって、探偵の真似事は専門外だ。
 そのあたりまで話したところで、足音が近づいてくるのが聞こえてきた。ロクスブルギーは、立ち上がって距離を取り、壁に背を預けて他人行儀な素振りで腕を組んだ。失礼しますの言う声の後にドアが開くと、エミが部屋に入ってきてテーブルの上に料理を並べていった。
「お待たせしました。都市部の豪勢なお食事のようにはいきませんが」
「いや、ありがとう。温かい食事が頂けるだけで、贅沢なことだよ」
 ロクスブルギーにそう声をかけられると、娘はあたふたと照れながら部屋を出ていった。頭を捻って空腹を感じ始めたので、テーブルについて食事を摂ろうとすると、吸血鬼は無言で一人分の皿をこちらに寄せてくる。定期的に血液さえ摂取できるのであれば、吸血鬼に通常の食事は必要無い。便利なような不便なような吸血鬼の特性は、身をもって理解してもなお不思議だと思わざるを得ない。
「君が食べておけ。体力を維持しておくに越したことはないだろう」
「ありがとう。……ところで、ロクスブルギー」
 できたての温かな食事を口に運びながら、先程から感じていた疑問を口にする。
「随分とあの娘に優しくないか?」
「……紳士は女性に優しくするものだ。それに君のためでもあるのだから」
「俺の?」
 訊き返すと、吸血鬼は大きく溜息をついて、大儀そうに口にした。
「『現地の女性との距離感はだけは、適度にしておくほうが良い』。事件が終わってからも、この村に足止めされるのは僕はごめんだ。君は女性を振り払うのが、得意ではないようだから」
 飲んでいた水が気管に入って噎せ、盛大に吹き出した。彼の言った言葉は先程、エミに対して抱いていた感想そのままだった。
「……アンタやっぱり――人の心が、読めるのか?」
「さて、どうだろうね」
 そう言うと、ロクスブルギーは日除けのために身に着けていた帽子やコートを脱ぎ捨て、ベッドに身を投げだして目を伏せた。
「ああ、今日は疲れた。僕はもう眠るから、君は張り切って見回りをしてくるといい。――万が一危険なことが起きたら、泣いて叫んで呼ぶように」
 そう言うなり、すぐさま吸血鬼は微動だにしなくなり、息遣いさえ聞こえなくなった。最初のうちは驚いたが、これは彼なりの休息方法らしい。一時的に、全ての身体機能を停止させているのだそうだ。棺に入っている間も、この方法でずっと休んでいたと、以前口にしていた。特に疲労の大きい時には、このように休息するのだと。日光の下を動き回るのは、それほど疲労を蓄積させたようだ。そうだとしたら、棺に入って何十年と眠っていた時、どれほどロクスブルギーは疲弊していたのだろうか? そんな疑問がふと頭に浮かんだが、それを訊ねるべきは今ではない。
 食事を終え、横たわる吸血鬼をひと撫でして――銃の中に銀色の弾が込められているのを確認し、部屋に施錠をしてから外へ出る。

 太陽が地平に沈んだあとの、ゆっくりと冷えた空気。神の眼差しの届かない、夜の世界へと。