4.人狼の住む村

「おお、おお……よくぞ来てくださった……! 神はまだ我々を見捨ててはおられなかったのだ……!」
 村に着くと、出迎えた老人――村長のヨハンネスという男だ――は感極まってこちらの手に縋り、今にも崩れ落ちんばかりの様子を見せた。よほど村の状態が緊迫していると見える。枯れ木のような肩を支えてやると、顔を上げた村長は待ち侘びていた審問官の隣にいる男――無論ロクスブルギーのことだ――に気付いたようだった。
「そちらの方も、教会の……」
 審問官なのか、と訊ねようとして、老人は言葉を濁した。それは無理もないことだ。上から下まで黒い服で覆われたその姿は、到底教会の関係者には見えない。ここが第一関門で、ロクスブルギーが村長に不審な印象を持たれようものなら、彼を伴ってきた審問官の印象も悪くなるのは自明の理である。どうにか納得できるような紹介をしなくてはならない。
「いや――こちらは俺の知人のロクスブルギー氏だ。あまり大きな声では言えないが、さる名家の末裔で、夜鬼に対する見識も深く博識であられる。今回の状況を鑑みて、俺が個人的に依頼して人狼の調査に加わって頂いたんだ」
 これは到着前に、ある程度打ち合わせをして決めておいた台本である。些か話を盛りすぎているような気がしないでもないが、こうでもしないと、この世俗から浮いている吸血鬼の身分としては相応しくないだろう。やや訝しげな顔を見せる村長に対し、ロクスブルギーは被っていた黒い帽子を脱いで――幸いなことに日陰になっていたので――優雅に一礼した。
「こんにちは、村長。ご紹介に預かったロクスブルギーだ。暫し村に滞在させてもらうことになるが、どうか気を遣わずに。僕はこちらのカウフマンさんと同じく、ただこの事件を解決することのみを使命としてやってきた者に過ぎないのだから」
 それは十分に、人間式の誠意を尽くした言葉として受け取られたのだろう。村長は表情を和らげると、そうでしたか、どうかよろしくお願いしますと言って握手を求めた。ロクスブルギーは快くそれに応じて微笑み、ごつごつと節くれだった老人の硬い手を、優しく両の手で包み込んだ。その様子の、なんと慈しみに満ちたことか。魔法を使わずとも、人の心を掌握することなど彼には容易いのではないかと思わせるほどだ。意外にも演技派であった吸血鬼の様子に内心舌を巻きながら――ひとまず、最悪の事態は避けられたようだと安堵する。
 村長に伴われ、簡単に村の中を見て回った。何の変哲もない、ごく普通の農村といった風情だ。敷地の多くには収穫前の麦が実っており、時折家畜の鳴く声が響いている。件の噂さえなければ、牧歌的な風情を感じ取れたであろうが、今は生憎それどころではない。日差しの下を歩く吸血鬼の具合を不自然に思われない程度に気にしながら、最後に案内されたのは礼拝堂であった。足を踏み入れると、最奥に『朝の女神』の像が安置されていて、その手前では十数人の村人たちが各々不安げな表情で寄り集まっていた。どうやら、事前に村長が人をここへ集めていたらしい。全員の視線が一斉に注がれ、軽い咳払いの後、村長が口を開いた。
「皆よく集まってくれた。本日、教会の審問官様と――その協力者の方が到着された」
 視線で促されたので、一歩前へ進み出た。
「どうも、審問官のカウフマンだ。そしてこちらは、調査に協力して下さるロクスブルギー氏。『人狼』事件の解決まで、よろしく頼む」
 集まっている人々の顔をぐるりと見まわす。皆一様に、怯え切った目をしており、当然だが元気の良い返答などは無い。が、気にせずに言葉を続ける。
「今日からは、俺が夜間の見回りを行う。村人の皆は家に鍵をかけ、絶対に、外へは出ないように。『人狼』でなくとも、夜鬼に遭遇したらどうなるか、今更説明は必要ないな?」
 既にこの村では、よく見知った隣人と、事態を解決しようとした審問官の命が失われている。愚問ではあるが今一度しっかりと、夜鬼の危険性を人々の胸に刻んでもらう。非常時には、思いもよらぬ行動を起こしてしまうことも、ままあることだからだ。
「見回りね……前の査問官みたくならなきゃ良いが」
 遠巻きに、皮肉った声が聞こえた。そちらを見れば、無精髭を生やした四十ほどの男がいて、蔑むような眼差しを向けてきていた。感じの悪い男だ。しかし、それにいちいち食ってかかるような教育は、教会で受けてきてはいない。右の頬を打たれたら、左の頬も差し出すまでだ。
「ご心配をどうも。どうやら前の審問官がどんな風に死んだのか詳しいみたいだな。ちょうどそのことを聞きたいと思ってたんだ」
 そう返すと、男は露骨に嫌そうな顔をして視線を逸らす。
「……別に、詳しいわけじゃねぇ」
「……以前いらしたユンカー審問官の遺体を、最初に発見したのが……そちらのヴェルナーさんです」
 控えめに手を挙げて、緊張した面持ちの若い娘がそう言葉を添えた。髭面の男は渋い顔をしたが否定せず、沈黙している。それは肯定と捉えて良いのだろう。
「ありがとう。えーと貴女は……」
 問い質そうとすると、横から村長が私の孫娘です、と告げてきた。成程、村長の孫娘には、さしもの髭面も不遜な態度は取れなかったというところだろう。小さな村だが――いや小さな村だからこそ、その中の力関係というのは絶対的なものだったりするものだ。村長の孫娘は丁寧に一礼した。
「はい、孫娘のエミです。村に滞在される間、お二人の食事のご用意などをさせて頂きます」
「そうか、ありがとうエミさん。よろしく頼むよ」
 努めて愛想良くそのように返すと、娘の緊張した面持ちがぱっと明るくなり、嬉しそうに頷いた。その様子の、なんと初々しいことか。滞在する間、村人たちとの関係は可能な限り良好にしておくに越したことはないが、現地の女性との距離感はだけは、適度にしておくほうが良い。特にこうした閉鎖的な環境にいる女性は、その環境の外部に強い憧憬を抱きやすく――早い話が、惚れた腫れたの話になりやすい。何故そんなことが断言できるのかといえば、かつて意図せず村娘と懇意になってしまい、盛大なもてなしをされながら、婿に来ないかと散々引き留められたことがあるからだ。そんな過去を振り返っていると隣から鋭い視線を感じ、そちらに視線をやれば、目を細めたロクスブルギーが厳しい面持ちをしていた。まさか、考えていることを見抜かれているなんてことは無い――と思いたい。だとしても過去のことなので水に流してほしいところだが――ひとつ咳払いをして、話題を変える。
「それで――ヴェルナーさん。ユンカー審問官の遺体の様子について聞きたいんだが」
「……なら、直接見たほうが早いだろう」
 ついてこい。そう言ってさっさと歩いていくヴェルナーの後に、ロクスブルギーと共に続いた。礼拝堂を出て向かう先は、村の隅に建てられている納屋のようだ。その道すがら、殺された審問官を見つけた時の様子について訊ねた。ヴェルナーは思い出したくないと言った様子で渋面を作りながら、ぽつぽつと話に応じた。
「……あの夜、俺ァ随分酒を飲んでたんだ」
 意識がぼんやりとしている中、外から一度、人の声が聞こえてきた。それほど大きな声ではなかったという。ヴェルナーの自宅は村の外周に程近く、少し歩けばすぐに森にたどり着く。その森の方から、声がしたのだと。夜間に外にいるのは巡回しているユンカーだけのはずだから、当然その声も彼のものであるはずだ。百戦錬磨の審問官とて、夜闇の中でコウモリなどに遭遇すれば声を上げることもあろう。そう考えながら、ヴェルナーは眠りについた。しかし翌日、朝の点呼の時間にユンカーは現れなかった。嫌な予感がした。そうして、朧気な記憶を頼りに森の中に立ち入り、昨晩声が聞こえた方へ向かってみると――
「……こいつが転がってた、ってわけだ」
 開かれた納屋の中に立ち入り、異様な雰囲気を纏った木箱を開きながら、ヴェルナーがそう言った。箱の中を覗き込むと、そこには人骨が入っていた。ところどころを噛み砕かれ、その肉をほとんど綺麗に喰らい尽くされた、審問官ユンカーの成れの果て。それは到底、人の手で行われたことではなかった。漂う饐えた臭いに顔を顰めながら、これまで目にしてきた、夜鬼に喰われた人々のことを――ついぞ肉片ひとつ見つけられなかった父のことを思い返す。箱に添えられた書面を手に取り、そこに書かれた文字を目で追う。

 ――お目にかかったことがあるかどうか、もはや知ることはできぬ教会の同胞へ。
 どうか、貴方がこの村の人々に安寧を授けられることを、切に願っている。

 それは、ユンカーの遺書だった。彼は自分が命を落とすかもしれないことを考えて、この書面を遺したようだ。骨となった彼の姿を、つぶさに見つめる。砕けた骨となってなお、職務を全うせんとした彼の覚悟と矜持には――『人狼』その骸をもって、応えなければならないだろう。