3.隠者の告白

 その老人は、人目を憚りながら生活をしていた。代々築いてきた名声は朽ち果て、資産であった骨董や宝飾も、多くを手放すこととなってしまった。片田舎の小さな小屋で、残っている僅かな宝物を手慰みのように愛でながら、時折骨董仲間との文通や取引をして過ごしている。

 そんな変わり映えのない日常に、思わぬ客が現れた。呼び鈴が鳴っているのである。通常、誰かが訪れるような時には、事前に手紙でやり取りをしている。突然訪れるのは、ほとんどが訪問販売だとか、聞いた事のない新興宗教の勧誘だ。とはいえ、呼び鈴を無視し続けるわけにもいかず、老人は大儀そうに腰を上げて玄関へと向かい、扉を開けないまま声をかけた。
「どちら様ですかね」
「やあ。アンタが『棺』を売った人かい?」
「はて、棺……ですか?」
「とぼけるなよ。吸血鬼ロクスブルギーの、『偽物』の棺のことだよ」
 心臓が跳ねた。口から飛び出そうなほど、鼓動が激しくなる。押し黙っていると、扉の向こうからおかしそうに笑う声がした。
「吸血鬼の話を聞きに来たんだ。別にアンタをどうこうするつもりはない、今のところはな」
「かッ……帰れ! わしは何も知らぬ! なにも、」
 瞬間、破裂音と共に、薄い木製の扉に風穴が空いた。悲鳴は銃声に掻き消され、訪れた静寂の中、薬莢の落ちる澄んだ音が響いた。扉に空いた穴から、銀色の銃口が顔を覗かせる。独特な装飾の施されたその銃は、教会の化け物殺しにしか持つことを許されていない、特別な物だ。――教会の人間がやってきたとなれば、この老人に逆らうことはできない。かつて夜鬼に入れ込み罪を犯したこの老人は、教会のお目溢しによって処刑を免れ、今の生活を営んでいるのだから。
「もう一度言うぞ。扉を開けろ。次は当たっちまうかもしれないぜ」
 老人は息を飲んで、扉を開けた。そこには背の高い男がいて、手には大振りの拳銃を構えている。男は老人の姿を認めるとにこりと笑って、銃を懐に納めた。薄気味悪い男だ。そう思いながら、老人は中へ入るよう促した。

 二人は小さな卓を囲んで腰掛けた。男が座ると椅子は随分と小さく見える。失礼、と一言断ってから、男は足を組んだ。
「それにしても、驚いた。まさか見栄っ張りのガーランド卿が、こんなちっぽけな小屋で隠居してるとはね」
「……何故、その名を知っている」
 さして驚いてもいなさそうな男に向かい、老人が絞り出すように言うと、男はコートのポケットから、小さなコインを取り出す。奇妙な目のような形の彫刻が施されており、ところどころが黒く変色している。そのコインを見て、老人は震えた。
「そのコイン……! 待て……吸血鬼……貴様、まさか……カウフマンの、小倅か……」
「……憶えて頂いていて光栄だよ」
 老人は地団駄を踏みたいほど、気分を害していた。よりにもよって、吸血鬼の棺の『本物』を持っていたあのカウフマンの息子が――しかも教会の手先になって――現れたのは何の因果であろうか。大きく息をついて頭を冷やしながら、老人は口を開く。
「何の用だ。わしはもう、夜鬼の遺物を収集なぞしていない。この家のがらんとした有様を見ればわかるだろう。それともまさか、『偽物』を売りに出したことを咎めにでも来たのか?」
「まあね。あの棺は結局、オークションで落札されなかった。だったらまだ、うちのものってことでいいはずだろ?」
「……フン。入札が始まる前に参加者のほとんどが死んだのでは、話にもならんわい」
 不機嫌そうに、老人は吐き捨てた。
「それに、あの棺の価値を貶めるような法螺話を吹聴されるのは、あまり良い気分じゃないな。俺と、そしてアンタが運良く生きて逃げられたのは――あの棺の、主がいたからだ」
「……」
 老人は視線を宙に投げ、そして瞑目する。しばしの沈黙の後、ゆっくりと皺の刻まれた唇を開いた。

「……わしは、あの棺を落札する気でいた。お前の親父に頼み込んで、衆目に晒される前に一目だけ見せてもらったのよ」
 もの寂しげに、しかしどこか恍惚とした様子で、老人は続きを語る。
「――美しい棺だった。滑らかな樫の木目と精緻な薔薇の彫刻。そして、中に眠る吸血鬼。競り落として、あの棺の中を確認するつもりだった。棺の中の麗人と見えるつもりだった。しかし、それは叶わなんだ。未練がましく、僅かに残った私財を叩いて、記憶を頼りに同じような棺を作らせたが、虚しさが募るだけであった。だから、手放したのよ。……あれは決して、『ロクスブルギーの棺』ではなかったのだ」
「……分かっているなら、二度とその名前を使って金儲けをしようなんて考えるなよ。……今日はそれだけ言いに来た。お咎めはなしだ」
 男は椅子から立ち上がり、背を向けて歩き出す。その背に、老人が声をかけた。
「……吸血鬼を、探しているのか」
「ああ」
「教会の犬になってまで、か? ……悪いことは言わん。あれに関わるのはやめておけ。いずれ破滅するぞ。お前の父のように」
 その言葉に、男は肩を震わせて笑う。その顔は過去に見た少年のままのようでいて、しかし決定的に何かを欠いたような諦念に満ちていた。彼もまた、あの日に全てを失ってしまった、ひとりだった。
「それは、言うのが二十年遅かったな。……忠告は有難く受け取っておくよ。もしも俺が処刑されたら、その時は笑ってくれ」
 それきり男は振り返らず、小屋を出ていった。老人はどっと疲れ果て、椅子に全体重をかけて溜息をつく。
「……やれやれ、血は争えんか」
 あの惨劇以来、思い出す旧友の姿といえば、すぐ傍で夜鬼の腕に握り潰されて物言わぬ肉塊になった姿だけだった。
 しかし、今日、瞼の裏に浮かんだのは――嬉々としてあの棺のことを語る、在りし日の旧友の笑顔であった。