月報を書いている途中、気分転換ついでに机の整頓を始めた。しまい込んでいる書類の要不要を仕分けしていると、引き出しにしまってあった手紙が目に入った。宛名の書かれていないその封筒は、中を見なくても何と書いてあるかすぐに思い出せる。手紙を受け取った日に思いを馳せながら眺めていると、不意に背中側から白い腕が伸びてきて、手紙を取り上げた。
「なんだ、これは」
「もう忘れたのか? アンタが書いたんだぞ」
そう咎めると、吸血鬼ロクスブルギーは訝し気に封筒から便箋を取り出して目を通す。たった一文しか書かれていない手紙を見て、ああ、と納得したように頷いた。
「まだ持ってたのか」
「そりゃ持ってるよ」
言いながら吸血鬼の手からそれらを取り返して、便箋を折りたたんで封筒に戻す。あまりにも丁寧にそれを扱うのが面白かったのか、ロクスブルギーは少し笑った。
「後生大事にしているから、ラブレターかと思ったよ」
「期待はずれで悪かったな」
吸血鬼の言葉に渋い顔をして、明後日の方向を向く。自分にとっては似たようなものだと言っても、理解は得られないだろう。溜息をついていると、ロクスブルギーは窓辺へ歩いていって、陽が沈んだばかりの空を眺めながら口を開いた。
「時間の尺度から言えば、僕にとってその手紙を書いたのはつい昨日の出来事のようであるべきだろうが――随分と懐かしく感じるな」
一度言葉を切ってから、彼は続けた。
「その一言を書くべきかどうか、僕としては悩んだ方だ。手紙を置いていったあとも、果たして君がそれを見たかどうか、見て何を思ったか、僕を探しに来るかどうか――多くのことを考えた。そう、あの時は、変な心地だった。気が気ではなかった、というのか」
歯切れの悪い言葉を並べる吸血鬼の背に視線を向けると、彼は肩越しに一度振り向いてから、再び窓の外を見た。
「誰かのことを想って、落ち着きなくその返事を待つという状況からすれば――まあ、ラブレターと言えなくないかもしれない。その手紙も」
部屋に沈黙が降りる。――聞き間違いでなければ、何か今、すごいことを言っていたような気がする。彼に歩み寄って横から顔を覗き込むと、口を引き結んでむず痒そうにしていた。あまり見たことのない表情だ。頑なに目を合わせようとせず、その視線はすいすいと夜を泳いでいる。
「……もしかして、照れてるのか?」
「照れてない」
「自分で言ったんだろうが」
「照れてない」
ロクスブルギーはそう主張し、そっぽを向いた。その態度と言葉は、多くの場合肯定として扱われる。おかしくなって、思わず笑いが込み上げてきた。小さく舌打ちするロクスブルギーの機嫌を取るべく、その背を軽く叩く。
「いや、悪い悪い。アンタがそんなロマンチックなことを言うとは思わなくてさ」
ラブレターのように、後生大事にしていた。ロクスブルギーが骨董屋に置いていった手紙を。長い間探していたひとが自分に宛てて残したその手紙には、最低限の一言しか書かれていなかった。だからその空白には、自分の勝手な願望を詰め込んだ。きっと、待っているに違いない。会いに来てほしいと思っているに違いないと。それが概ね間違いでなかったことは、今の生活が物語っているが――彼は彼で、こちらが思っていたよりも多くのことを、考えていたようだった。
「……俺が死んだら、この手紙は一緒に棺に入れてくれよ」
そう言うと、ロクスブルギーはようやくこちらを見て――穏やかな声でこう言った。
「そのときには、もう少し心の籠った手紙を書いてあげるよ」
「別にこの手紙で十分だけどな。――ラブレター、なんだろ?」
手紙に軽く口付けて見せると、その話は止めにしろ、とロクスブルギーが渋い顔で圧力をかけてきて――彼の機嫌を直すのには数時間と、ティーカップ一杯分の血液が必要になったというのは、また別の話だ――
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます