1.銃を取る理由

「『人狼ライカン』、ですか」
「あくまで噂、だがね」
 糸目の男――一応上司にあたる人物だ――はぱんと手を叩き、目は少しも笑っていないまま愉快そうに告げた。
「おめでとうカウフマン。君が次の『狩人』だ」
 そうして、机の上に鈍い銀色の四角い小箱が差し出された。それを受け取って蓋を開けると、そこにはまるで宝飾品のように丁寧に、銀色の銃弾が納められていた。それが何かは当然理解している。特に危険な任務にあたる際に授けられる、対夜鬼用の特殊聖隷弾だ。これを渡されるときは、大抵危険で実入りの無い任務であると、相場は決まっている。小箱の蓋を閉めて懐にしまい、肩を竦めてみせた。
「『犠牲者』の間違いでは?」
 そう返すと、上司は机の上で手を組んで、一変深刻な声音になった。
「そうならないよう、君が選ばれたのさ。ルー・ループス・カウフマン。教会は君の能力と実績を正しく評価している。既に派遣した審問官が二人も殺されている。これ以上の損害は避けなくてはならない。教会の威信のためにもね」
「圧かけてくれますねぇ〜……」
 後ろ頭を掻きながら、どうしたものかと思考を巡らせる。無論、断ることはできないし、元より用意してはいない。問題はそこではなく、家にいる同居人にどう説明したものかということである。――それはさておき、返事はしなくてはならない。
「分かりました。明朝、現場に向かいます」
「頼んだよ。君を棺に入れることにならないよう祈っている。神の御加護が、ありますように」

 ――以上が、数時間前のやり取りである。帰宅してからトランクを引っ張り出し、床に物を広げて荷造りを始める。持ち物はいつも最低限、必要があれば現地で調達する。経費は全て、教会が持ってくれるからだ。こなれた手つきで一通りを詰め終えた頃、見計らったかのように部屋のドアがノックされて開いた。唯一の同居人――という表現は正しいのかどうか――である吸血鬼ドラクル、ロクスブルギーは部屋の入口にもたれ掛かりながら問いかけてきた。
「出かけるのかい、ルー」
「ああ、仕事でね。なんでも、人狼を見つけてこいとのお達しだ」
「人狼?」
 怪訝な顔をする吸血鬼に、事件の概略を話してやる。
 ある地方の農村で、村人の遺体が発見された。食い荒らされたように損傷したその遺体から、夜鬼ナイトゴーントの仕業であるとして、教会が事態の収拾にあたることとなったが――教会から派遣された審問官もまた、帰らぬ人となった。村人と同じように、無惨に食い荒らされた遺体となったのである。そうして二人の審問官が犠牲となった。化け物殺しの専門家すら命を落としたことから、教会はより危険な上位の夜鬼――人狼が関わっているのではないか、との見解を示していた。
「――そういうわけで、次の狩人として俺にお声がかかったのさ。まあ、さっさと退治して、帰ってくるよ」
 ロクスブルギーは最後まで話を話を聞き終えてから、静かに口を開いた。
「……ルー。君は何故、教会に身を置き続けるんだ?」
 やんわりと咎めるような口調で、吸血鬼は続ける。
「君が教会で化け物殺しをしていたのは、あの日の事件の真相を知ることと、僕の――吸血鬼の情報を手に入れるためだろう。……君の目的は果たされたはずだ。なのに何故、命の危険がある仕事を続ける必要がある?」

 予想していた通り、ロクスブルギーはこの仕事を引き受けることについて異議を唱えてきた。彼の言うことはもっともだ。彼の言うとおり、この二十年のうちにやってきたことはほとんど全て、彼に会うためしてきたことだ。それは疑いようがない。だというのに、何故この危険を伴う仕事を続けているのか。それは当然の疑問で、そして自身でも今日まで明確な答えは出せないでいた。
 答えかねていると、ロクスブルギーがゆっくりと近づいてきて、滑らかな掌で頬に触れた。促されるように見上げると、赤い瞳と視線がぶつかる。――ああ、綺麗だな。そんなことを考えている場合ではなくても、胸の内でそう賞賛することはやめられない。この瞳をこれほど近くで見つめる権利をいま自分が有しているということを、共に暮らし始めてしばらく経っても、まだ疑うことがある。黙ってそれを見つめていると、薄く形の良い唇が開いて、言葉を紡いだ。
「そんな仕事は、もう辞めたらいい。君はまだ若くて体力もあるし、それなりに勉強もできるのだから、どこでだって望めばすぐに、違う仕事を見つけられるよ」
「……そうかも、しれないけど」
「ルー」
 小さく棘で刺すような声音と共に、吸血鬼の顔がさらに近付く。赤い瞳が、空に浮かぶ月のようだ。血を吸われているわけでもないのに、じわじわと身体から力が抜けていくような、奇妙な感覚があった。
「……立って。そのままベッドへ行くんだ」
 吸血鬼の瞳の奥が光る。すると、力が抜けているのに身体が勝手に立ち上がって、ぎこちなくベッドへ向かって歩き出した。ほどなくベッドの前へ辿り着いて、何が起きているのか分からず混乱していると、背中をとんと軽く押され、ベッドにうつ伏せに倒れ込む。先程まで操り人形のように勝手に動いていた身体は、今度は糸が切れたように全く動かせなかった。

「ど――どうなって、」
「君は時々、僕が化け物であることを忘れるらしい」
 思考を巡らせると、吸血鬼に関する、いくつかの知識が思い出された。曰く、吸血鬼の視線には、他者を支配する力があるという。否応無しに相手の身体を操り意のままにする力。これまでロクスブルギーが何かを強いてくることなどなかったから意識していなかったが、本来ならば暴力を使わなくとも、吸血鬼は人間を如何様にもできるのだ。ベッドの縁に腰掛けて、ロクスブルギーは静かに口を開いた。
「君は言ったね。自分の命が尽きるまで、傍にいて欲しいと。僕はそのつもりでここにいる。その僕が、君の命が危険に晒されることを、良しとすると思うのか」
「……それは」
「明日の朝まで、よく考えることだ。僕を納得させる答えが君の中に無いのなら、その仕事へは行かせない」
 そう彼が言い終えると共に、身体がふっと軽くなる。支配から解放されたようだ。ベッドから起き上がると、吸血鬼は背を向けて部屋を出ていくところだった。ドアに差し掛かったところで、彼は振り返らないまま呟いた。
「……僕を孤独に、戻してくれるな」
 零れ落ちるように発されたその言葉に応じる前に、ロクスブルギーは足音も立てずに去っていった。ひとつ息をついて、再びベッドに寝転がる。
 分かっている。もう必要のないことだ。けれど――その先を答えられもしないのに、『けれど』と付け加える、自分がいる。
 目を伏せて、自らに問う。この命の意義は何ぞやと。やがて睡魔がやってきて浅い眠りに落ち、そうして、かつてのことを夢に見た。
 世界にひとり取り残され、吸血鬼の影を追い続けていた、あの頃の夢を。